2024年1月 / あなただけに話したい

お久しぶりです。

4年弱ぶりにこれを更新する。つまり、大学を卒業して4年弱が経った。

この4年間の大きな出来事としては就職をして結婚をした、くらい。そこまで変わってはいない。

 

ところで、ここ数年は父の影響で競馬が好きになり毎週末中央競馬の重賞を予想している。

そして、父と弟2と私の3人合計で勝ち越したら日曜日の夜に家族全員でごちそうを食べる、という習慣がある(負けたらオリーブの丘)。ごちそうにも色々レパートリーがあるけれど、その中でも焼肉店(だいたい個室)にはわりとよく行くほうだ。

私は個室で焼肉を食べながら家族と話す時間が好きだ。どんな話題でもお互いに最もコンプレックスを持ちづらい人たちだし(両親はできるだけ投資を均一にするなどの努力をして我々をそのように育てた)、似たようなレベルの知能を持っており、抽象的な話でもみんなわりと同じシチュエーションを思い浮かべる。あとは全員が少なからずお互いの幸福を祈っている(と思う)。

以上のような条件から、必然的に話せる物事が多い。多分このような人が周りにいないと、微妙なトピックに対する意見や思想を修正する機会がない。だから家族全員で個室に入り焼肉を食べながら(多分肉も大事なメンバーだ)そこでしかできない会話をするのが好きなのだ。

 

このようなことは家族に限った話ではない。私は昔から誰かと個室で食事をするのが好きだった。それも2人で話すのが一番好きだ。大勢で集まった時にする、お互いを軽く撫で合う意味のない風みたいな会話も悪くはないのだが、やはりその人だから話す、という会話が一番好きでこれはほかのどんな娯楽にも代えられない。2人、3人…と人数が増えていくにつれベン図の共通部分(つまりその場で話したいこと)の面積が小さくなっていき、一定の人数を超えるとここの面積がゼロになって「話すべきでないこと」以外を話す、というフェーズに入る感じがする。別にこんなことは考えず好きなことを話してもいいのだろうけれど、自分にとっては相手と自分のベン図の重なりを考えること自体が重要でもあるのだと思う。

 

こういうベン図的な平面の話題選びとは別に、「深さ」で選ぶやり方もある。「深さ」というのは具体的に言うとその話題でお互いにかかる負荷のことだと思う。自分の価値観や内面の深い部分を開示せざるを得ない話(たとえば映画の話をするとこういう内容になりがち)、頭を使う難しい話、などが該当する。

前者について、代表的なものに「自分が嫌いなものの話」というのがあると思う。

 

私は「自分が嫌いなものの話」については特に話す相手や場所を慎重に選んでいて、このようなことを話すのは親愛の証でもある(こういうこと、昔から何度も言っているかも…)。

あとは、自分が長く付き合っていきたいと考えている人には、我慢するコストと伝えるコストを比較して伝えた方が最終的にコストが低いと考えて嫌いなことを伝える、ということも多い。

どちらにせよ、相手を信用していて、長く付き合っていきたいと思うから選ぶ話題である。

 

 

その昔、当時お付き合いしていた人と温泉旅行に行ったときの話である。その宿は夕食も朝食も部屋食だった。とても嬉しかった。テレビを見ながらおいしい夕食を食べていた。

テレビを見ていると、以前からからとても嫌いで我慢ならない詞を書くバンドが出てきた。恋人なので特に抵抗もなくそのバンドの嫌いなところをつらつらと話しはじめた。相手に「好き」と伝えられてから「いや、自分はあんまり…」と言うのも結構相手に負荷をかける気がしていたので、嫌いなものは先に言っておこうという考えがあった(恋人もすごく音楽が好きな人だったし)。でも、それと同等かそれ以上に、自分の心の深い部分について知ってほしいという思いがあった。

部屋食でコース料理だったので、話の途中で係の男性が1人入ってきて配膳を済ませて出て行った。

係の男性が出て行ってすぐ、恋人に「あのお兄さんがそのバンドを好きだったらどうするの? そういう話をするのは良くない」みたいなことを言われた。

「自分はそのバンドを好きなのでそんなこと言わないでほしい」と言われたなら全然良かった。心から謝罪したと思う。でもこれは違う、何かが決定的に間違っていると思う…言いたいことがたくさんあったけれど、そのときは本当に一言も、何も言えなかった。ただ旅行中ずっとはらわたが煮えくりかえるような思いで過ごしていた。そのあとも長くお付き合いをしていた人だったけれど、今思い返すと自分の中ではこの日で決定的に何かが終わっていたと思う。

 

自分のことを伝えるために、嫌いなことではなく好きなことではだめなのか? みたいな意見もあると思う。もちろん好きなことでも伝わることがあるのだけれど、嫌いなことではまた別のことが伝わるというか、両方必要だと思う。

あと、嫌いなことはさっき話したような我慢のコストを考える必要があるのと、やはり誰にでも言えることではないというのも異なる点だ。あと、好きなことってある程度操縦がきくというか、嘘もつけると思う。

 

小学生の頃にハンターハンターを読んでいて出会った「その人を知りたければ、その人が何に対して怒りを感じるかを知れ」という言葉が私は大好きで、以来ずっと大事にしている。

今でも理由をうまく説明することはできないけれど、この「怒り」の部分は「喜び」ではやっぱり駄目なのだ。

 

 

 

2020年3月

おはようございます。

今年の3月はなんと雪が降った。桜満開後の積雪は51年ぶりだったそうだ。51年前に何があったんだろう。とはいえあの雪のあとはすぐに暖かくなって、もう本当に春だ。

 

3月はほとんど丸々自由時間だった。中高生の学年末テストがなくなったからアルバイトも3月初旬で終わってしまったし。それに最近は自宅にいるのが良いとされていたから予定していたより人と遊ぶことも少なかった。

ずっと家にいて映画を見たり本を読んだりした。リメンバー・ミーを見てボロボロ泣いたり、わたしを離さないでを読んでボロボロ泣いたりした。あと、はじめて友人と映画を観に行くという経験もして、感想を言い合うたのしさを覚えたので今後は積極的にそういうことをしてみたい。よろしくお願いします。

 

それと、大学の友人や大学やその周辺にさよならをしてきた。学位記を受け取りに行ったあと、在学中最も食べたラーメンを食べてきた。大学に寄った時、研究室の先輩に偶然会って「みんなでいまからいきなりステーキ行くんだけど来る?」と言われたけれど絶対にラーメンを食べると決めていたので泣きながら断った。ラーメン、昼に食べておくんだった。

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最近よく考えるんだけれど、やはり無駄な経験ってひとつもないんだろうなと思う(もしくは、その時点で無駄と言い切れる経験)。でも時間は有限だから「無駄ではない」経験より「必須」な経験から選んでいくのが絶対良いに決まっている。「無駄な経験はひとつもない」みたいな考えはうっかりマストじゃないことに時間を使った時、さっさと前に進めるように慰めとして使うのが1番いいと思う。

自分にとって大学生活は必須ではなかったけれど、気の許せる数人の友人や我慢強さを得られたから無駄ではなかった、と言えるかもしれない。そういうことにしておく。

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2020年3月のプレイリスト

https://music.apple.com/jp/playlist/2020%E5%B9%B43%E6%9C%88/pl.u-PDb42ZDT2ZWkmJ

 

 

多分、これからは毎月毎月は書くことがないと思うからこれを最後に不定期更新にする。また気が向いたら書きます。体に気をつけて、お元気で。

 

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2020年2月/きれいな海最高

こんばんは。

さっき飛行機でハワイから帰ってきた。

もう寒くはないけれど、先週、突然花粉症で息ができない日が来ておそろしかった。

 

2月は半分以上が無感情に過ぎていった。自分の卒論発表が終わった後、居室の床で死んだように寝た。目覚めたあと友人に神戸プリンを貰って、食べたら美味しすぎて泣きそうだった。

 

2月下旬に慌ただしく引っ越しを済ませて、すぐハワイに旅立った。ハワイには何度も行っているけれど、初めてダイヤモンドヘッドに登った。

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それと、久しぶりに潜水艦に乗った。弟3は大学の部活が忙しくて来れなかったからお土産を買った。

 

旅行は、基本的に休むために行くのでなかなか友人と行こうという気になれない。友人とは一緒にいる時間が限られているからずっと何かしていなきゃ、と思って疲れてしまう。みんなどう折り合いをつけているんだろう。それとも体力があるのかな。

とにかく、家族で行ったからうまく休めたし、ここ何年分くらいの疲れがスッキリ取れたいい旅行だった。きれいな海のパワーはすごい。

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2020年2月のプレイリスト

https://music.apple.com/jp/playlist/2020%E5%B9%B42%E6%9C%88/pl.u-LdbqDL5CdaDkL5

 

 

コロナウイルス怖い。3月になったらいろんな人と遊ぶのを楽しみに頑張ってきたけれど、ちょっと心配だから近場以外は控えようと思う。アメリカも近々日本人は入国拒否するかもしれない?らしいし、滑り込みセーフだった。

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2019年7月/「自分以外のために」をしない

こんばんは。

7月中旬までは涼しく雨が多かったけれど、下旬は真夏のような暑さだった。

 

今月はとてもハードだった。例えば、動機が「自分が興味がある」「自分のため」ならば使える時間の全てを使っても全く不快感を感じないタイプなのだが、まったくそういうことではなかったので大変消耗した。

 

私の揺るがぬ信条として「100%他人のためということは、しない」というものがある。今月はそれを破ってしまって大変な思いをした。もっとも「100%他人のため」であると気づいたのは終わってからであるから、正確には「誤って」破ってしまった、ということになる。

これはその人の性格やキャパシティにもよると思うが、私は他人の為に犠牲を払うような「キャパシティ」に関してはほぼ0に等しいので、こういう信条が自分にとっても周りにとってもより良いと経験的にわかっている。そもそもこの「キャパシティ」は、大体の人が実際より多めに見積もりがちなんじゃないかなと思う。その結果「あなたのためにやったのに」みたいなことを言ってしまう結果になる。これは、とても嫌いな言葉の一つである。

また、「100%他人のため」ということは実は少ない、という意味も込められている。例えば親が「子供の将来のため」というのも100%子供のためではなく、親として安心するため・自信を持つため、周りに自慢するため(?)など、自分のためである割合はそれなりに大きいと思う。これは自分を取り巻く物事のほとんどに対して同様のことが言える。

つまり「100%他人のためということは、しない」というのは、自分のためになることしかしないというよりは、自分でそういう行動原理に従って行動したはずだから、後で自分以外のためだなんて言うのは禁止しよう、という意味合いが強い。

 

だから今月は本当に失敗した。もしかしたら誰かに強く当たってしまったかもしれないし、それは本当にあってはならないことだ。

就職すれば最低でも報酬は発生するため、こういうことは少なくなる気がする。でも細部を見ていけばこういうことはあるだろうし、仕事仲間や研究室の人々については友人と違って「好きだから一緒にいる」というような自分の利益にあたる部分の一切が削げ落ちているため、こういう行動原理を叩き込むのは今のうちに訓練しておきたいところだ。

 

 

2019年7月のプレイリストです

https://music.apple.com/jp/playlist/2019%E5%B9%B47%E6%9C%88/pl.u-6mo44y8ijR3ZM4

 

 

 

とはいえ、そうやってバタバタと7月を過ごしたおかげで色々ひと段落つく目処が立った。

8月も元気に過ごしたい。

2019年5月のプレイリスト/アウト・オブ・タッチ

こんばんは。

 

ゴールデンウィークに家族で福島に旅行に行った(弟3はゴールデンウィーク中も毎日部活があるため不在)。車で移動している時間に、弟2がポリス、エア・サプライ、ホール&オーツ、などの懐かしい曲をかけた。エア・サプライのロスト・イン・ラブが流れると弟1も弟2も当たり前のように歌詞を完璧に覚えて歌っていて、この家の通過儀礼のようだなと思った。旅行は楽しかったので、ゴールデンウィークが明けてもこれらの曲をたまに聴いて旅行を思い出していた。

 

私はホール&オーツのアウト・オブ・タッチが好きである。プライベート・アイズやリッチ・ガールやウェイト・フォー・ミーよりも。いや、みんな同じくらい、すごく好きなのだが、アウト・オブ・タッチは好き嫌いとは別に、思うところがあるのだ。

 

幼少期の私は、当然ながら車内オーディオの主導権は握っておらず(今は弟2が全てを掌握している)、両親が時系列を無視してぐちゃぐちゃに聴いている曲を、時系列が不明なままぐちゃぐちゃに聴いていたし、私は生まれていないような時代の曲が多かったから、この曲は当時すごく売れたとか、人気があったという感覚もない。しかし私は大体このバンドがどのあたりでこの曲を書いたとか、どの曲が特に人気があったかは大体わかった。特に、曲を書いた時期についての予想は本当に正確だった。そして私はきまって、バンドが彼らの活動の後半で書いた曲を特に好きになった。これは好きなバンドほど顕著だった。

 

先ほど例に挙げたホール&オーツの4曲の中で、1番後にリリースされたのがアウト・オブ・タッチである。この曲は「熟成」「結集」という言葉を連想させる。ちなみに他の3曲は「直感的」あたりだと思う。

 

長く続いたバンドには流れがある。私の知る限りでは、長く続いたバンドの最大のヒット曲がバンドの終了間際にあるということは少ないような気がする。そして最大のヒット曲となる曲は「直感的」な曲が多い。

 

音楽の楽しみ方は人それぞれだろう。作った人間・メディアなどのバックグラウンドを考えず、単純に曲の良し悪しのみに焦点を当てて音楽を聴く。これはとても正しい。しかし自分はあまりこういう楽しみ方ができないのだ。映画のサウンドトラックを聴けばその曲が流れていたシーンを思い出すし、歌詞の意味やバンドの流れをそれとなく感じて感情移入してしまう。感情移入しないわけがないのだ。

 

アウト・オブ・タッチにはそういう感情移入をさせる力がある。泣かせるような曲調だとか、そういう話ではない。流れを感じるのだ。その曲単体でみれば全然そんな曲じゃないのになぜか終わりや集大成を感じる。バンドとして熟成されて、今まで積み上げたものを全て結集させる。迷わず走り抜けるのではなく、注意深く歩く。バンドの曲を隅々まで聴くと、不思議とこういう流れを感じる瞬間がある(何度も言うが、曲調が感動的だとかそういう問題ではない)。

 

「熟成」は、ホール&オーツでいうとアウト・オブ・タッチだし、エア・サプライでいうとスウィート・ドリームスだと感じる。「熟成」には、例えば普段とは違った試みをしてもうまく形になる、安定感みたいなものも含まれている。注意深く歩くのだ。

 

「直感的」は、ホール&オーツでいうと他に挙げた3曲だし、エア・サプライでいうとロスト・イン・ラブやオール・アウト・オブ・ラブあたりだ。「直感的」は、「個性」や「才能」とも近い。とにかく彼らが元々持っていたものの割合が大きいように感じる。ちなみに弟2はどのバンドについても私が「直感的」に分類している曲が好きである。

 

ポリスについてはちょっと話が別である。ポリスにエブリ・ブレス・ユー・テイクという曲がある。私はこの曲はバンドの初期に書かれたものだろうと長い間思っていたのだが、実はバンドが終わる間際に書かれたものだそうだ。しかもポリスの最大のヒット曲らしい(と父に聞いた)。

 

ポリスはとても「熟成」されたバンドだった。例えばドラムのスチュアート・コープランドの演奏にはまさにこの言葉がぴったりだ(もっとも、技術的なことはドラムについてしかわからないが)。1000年くらい生きた人のドラムを聴いているように感じる。上手い、とも、センスがある、とも少し違う(もちろんとてつもなく上手いしセンスがあるのだが)。やはり「熟成」がぴったりだ。

 

そして、ポリスには生きた「流れ」みたいなものが感じられない。ポリスの好きな曲をあげるとしたらシンクロニシティ2だが、メッセージ・イン・ア・ボトルのようにリリース年がかけ離れている曲とも同じような雰囲気を感じる。聴いていて同じような気持ちになる。確かに、1000歳の人が書いた曲と、その人が1010歳になって書いた曲が大きく違うことはないのかもしれない。少なくとも20歳と30歳ほどの相違はないだろう。

 

ところで、私はなぜ「熟成」が好きなのだろう。これは、私が音楽に求めているものを顕著に表しているはずだ。

 

おそらく、未来に希望を持ちたいのだと思う。とても単純な答えだ。今日より明日が良くなって欲しい。無い物ねだりをしない。だから努力したところで手に入らないような「直感的」よりも、バンドも終わり間際になり、「直感的」が出てこない、でも自分たちが今持っているもの、積み上げてきたもの全てを掻き集めて作った「熟成」に惹かれるのだと思う。もちろん私も楽曲として優れているとか、完成度が高い、みたいな視点は別のところに常に持っているが、楽しんでやっているわけではない。それは勉強するのと大体同じ。純粋に楽しんでいる・充実感を感じるのは、その前に散々述べた方の聴き方だ。

 

2019年5月のプレイリスト

https://music.apple.com/jp/playlist/2019%E5%B9%B45%E6%9C%88/pl.u-RRbVVKJt1D7xdZ

 

ところで、今週末に日本ダービーを見に行く。このレースの結果次第で秋にフランスに行けることになる。フランスに行けることになったら、2019年5月は完ぺきだ。