2019年3月のプレイリスト

こんにちは。

 

就職するか院進するか、未だに迷っているのだが就活はしてみることにした。今年は2社受ける。少ないと思うので内定を頂けない可能性が高いけれど、その時はまだ自分は役立たずということでもう2年勉強を頑張りたい。就活することが関係しているのかどうか自分でもわからないが最近猛烈に本を読んでいる。本当にさまざまな種類のものを1日1冊くらい。弊研は就活中は研究室に来なくても良い、みたいな方針なのでせっかく貰った時間は何かしようみたいな気持ちなのだろうか?その辺はよくわからないけれど本は面白いよね。

 

就職することを考え始めてから、なんとかして週休3日の世界にしたいよね、みたいな話をよく父とするようになった。例えば選考で「夢はなんですか?」みたいなことを聞かれても絶対に言わないけれどこれは自分の中で結構大きな夢である。できると思うんだよね。業種もまさにこれを叶える鍵になりそうな業種を選んだ。

 

それから将来のこともよく考えるようになった。1番はどこに一戸建てを建てるかということ。弟たちに両親の介護は任せられないので絶対千葉県か東京都がいいのだけれど、開発職は地方が多くて困る。学部卒なのでそこまで職種にはこだわらなくてもいいかなとも思うけれど。

 

と、3月前半は悶々と考え込んでいたが下旬は家族でハワイ旅行に行った。毎年同じ時期に行っているので、毎年、年が明けたくらいから楽しみでソワソワしている。そのせいか今月作ったプレイリストはハワイで聴くと気分が良くなるような曲(?)が多い。

https://itunes.apple.com/jp/playlist/2019%E5%B9%B43%E6%9C%88/pl.u-PDb40epI2ZWkmJ

 

ところで、帰りの飛行機で吐きそうになって空いてる座席で横になった。帰ってきてからもずっと気分が悪くて楽しみにしていた卒業パーティにも行けなかった。飛行機酔いまでするようになったか。

 

 

 

 

2019年2月のプレイリスト

こんばんは。

 

今月はストッパーをかけずに遊びまくり食べまくり、お金がなくなってしまったので3月は倹約しようと思う。でもいい思い出がたくさんできたな。卒論発表が終わった日に大学の友人とたくさん話して朝まで遊んで、自分は就職しようか進学しようか悩んで頭が痛くなった。大学の同級生はみんな学部を卒業するが、大学時代を振り返るととにかく魅力的な友人にたくさん出会えて良かったなと思う。私はもう少し頑張ります。

 

ところで、うちは4人兄弟なうえに上2人が大学を辞めたり二浪したりしたせいで、もう10年くらい連続で家に1人は受験生がいるという状況が続いていた。しかし、それも明日の弟3の国立前期入試で終わることになる。かなり感慨深い。実家のリビングには大量に参考書類があり父が処分したがっていたので、弟1がリビングにあった早稲田大学の赤本をスッ・・と手にとってメルカリに出していた。

 

今月は高校以来会っていない友人にもやっと会うことができた。その子は就職していて、ちょうど良かったので進路の相談をしてみたが、勉強好きそうだし進学したらと言われて驚いた。勉強好きそうに見えてるんだ。高校は違うので、高校自体のイメージかもしれないけれど。

その子は多分自分が親しい人間の中で1番音楽が好きで1番音楽に時間を割いた人だと思うのだが、音楽で食って行く道は選ばなかったらしい。自信がないからと言っていた。自分が作った音楽より好きな音楽がなくなるビジョンが見えない、みたいなことを言っていて、多分自分には一生見えない世界だろうなと思った。

 

高校を卒業したくらいから、自分は平均より感情が乏しいことがわかってきた(嬉しい楽しいは人並みかそれ以上にあるような気がするけれど、喜怒哀楽の怒や哀が削げ落ちているようだ)。幼少期によく言われる「自分がされて嫌なことはしない」が全然上手くいかないし、(お金や時間がなくなる・怪我をするといった実害が出てくる場合を除き、感情に限った話でいえば)私の場合は人にされて本当に嫌なことや傷つくことがないから別に他人に何をされようが言われようがどうでも良いのだが、そうではない人も多いので、自分に投影する行動原理とは別に、多くの人がそう感じるというデータを逐一保管してそれに参照して発言・行動をするようになった。それを始めてからは自分にはわからない感情・見えない世界にかなり敏感になったりコンプレックスを抱いたりするようになって、結婚や出産も全く興味がないけれど上記の理由から必ずしようと決めているくらいである。

最近人にも話したけれど、本当に悲しくて泣いたり、どうしようもなく落ち込んだりしたことが人生で一度もない気がする。みんなそれくらいあるんじゃない?と言われるとモヤモヤする。狙ってするような経験ではない気がするが、そんな日が来るならまた新しい自分になれるだろうな、と思って楽しみに待つことにする。

 

 

話が長くなってしまったが2019年2月のプレイリストです。(https://itunes.apple.com/jp/playlist//pl.u-6mo4l9mhjR3ZM4)

今月は人から教えてもらった曲が多い。うれしいことです。

思考停止・正義・思いやり

1年くらい前の、友人との会話を思い出していた。当時はこのやりとりに、年に一回あるかないかくらい落ち込んだ覚えがある。表面上は結構仲良くしてくれていた方だと思うんだけれど、それ以来その友人と会うこともなくなった。

 

思考停止で、響きのいい言葉や行いをただ並べて正義ぶる人は多い。善い行いとは何だろうか?マナーの定義でよく話題に上がるフィンガーボールの話が結構好きで、相手を本当に思いやる起点の利かせ方や立ち回り方を、普段からよく考えるようにしている(実際にはうまくできはしないが)。

 

ところで、「嫌い」というのは、かなりその人の本質に関わる部分であり、人によってさまざまな意味を持つものだと思う。私個人としては、親しい人のそれほどよく知っておきたいと思う。また、私もかなり親しい人にしか自分は何が嫌いかなんて話したくない。

そして注意すべき点は、「嫌い」というのは必ずしも対象への批判ではないという点である。

若い人が食べ物の味をおそらく気に入らなかったであろう時に「大人な味だ」とか「難しい味だ」とかいう言い回しを使うのは嫌いじゃないし、それなりに本音なんじゃないかと思う。「嫌い」というのは、優れている・劣っているではなく単純に自分の好みから外れているというプレーンな意味や、自分にはその良さを感じるアンテナがない(先ほどの食べ物の例のような場合)という自虐的な意味を含めた場合が私自身に限ってはかなり多い。そもそも「これは劣っている」と断言できるほど造詣の深い分野がそんなに無いし。つまり、一言で言うと私にとって「嫌い」とは自分の未熟さを表す象徴である。

 

友人との会話の話に戻るが、当時あったできごとはこうである。

確か4,5人で遊んでいて、徒歩での移動中にその友人の中の1人、友人Aに対して「○○がそんなに好きじゃないんだけれどあなたはどう思う?(好きならばどういうところが好き?自分の理解力が低い可能性があるので良いところを単純に知りたい)」と話しているところに友人Xがわざわざ横入りしてきて「○○が嫌いとか言うな!」みたいな旨のことを結構な口調や言葉遣いで突然言ってきた、というものである。

ちなみに友人Aはかなり親しく、口に出していない( )内の内容もほぼ理解しているであろう間柄である。普段からこういう話をしているからお互いにわかっているし、わかっているからその人だけに聞こえるように話したのに、勝手に会話に横入りをしてきたうえに説教をするな、何様だよ・・。これがまず悲しかったこと1つ目である。

ちなみに友人という対等な立場の人をなぜか見下していたり、なぜか説教をしたがる人はかなり苦手だ。これは完全に個人的な体感なので聞き流して欲しいのだが、もういろんな意味ですごくつまらない人が多い。

2つ目は、「嫌い」というワードに対して勝手にパトロールして無思考で反応して「俺は嫌いなものなんてないぞ(あっても絶対口に出さないぞ)、俺は潔白だ!美しい!」って主張したいだけ、みたいな思惑が言葉の端々から出ていたことである。つまり、この発言は絶対あなたのアピールの為のものでしょう、と感じられるものだったことである(例えば、好きなものを貶されたと感じて傷ついたのなら会話していた2人にだけもっと言葉を選んで言えばいい。わざわざその場の全員に聞こえる声で、そんなこと言う必要ないだろというようなことまで言われたので、結構変な雰囲気にもなった)。まあ少なくとも私の為を思った発言ではないだろう。

そして3つ目はやはり、私に全然興味がないということがはっきりしたことである。友人Xは自分自身のアピールに終始したという点で、2点目とも関連が深い。友人Xは私がどんな気持ちでこの発言をしたかわかっていないし、わかろうとする前に一方的に汚い言葉で説教をするし、そもそも、おそらく私の発言の意図を理解できない程度の関係性だってことすら理解できていない。自分のことを理解してくれ!と思うことは実はほとんどないしましてや強要するものでは決してないけれど、わからないならわかったような口をきかないでくれよ。あとは自分は友人Xと仲が良いと思っていたしもっと知りたいと思っていたので、友人Xから「あなたが本当は何を思っているかなんて興味ないです」とでも言われたように、一方的にシャッターを下された気がして単純に悲しかった。

 

ここまで傷つくことは稀だが、こういう、潔白さを振りかざすというか、自分の正義で人を斬りまくる人を見て辟易することはかなり多い。しかもそういう人は結構なんにも考えていない。少し話は違うかもしれないし、今はこういう発言はそんなにないかもしれないけれど、整形を全否定する発言も似たような理由で苦手だ。「俺は自分が大好きだ!コンプレックスなんかないぞ!親からもらった体を傷つけるなんてありえない!潔白だ!」みたいなアピールをしたい人の発言は特に。そういう発言の裏に、整形する人の気持ちを考えたスペースが見つかったことがないので。単なる私見だし言葉は悪いが、考える頭がないから極論しか言えないんじゃないの?と思うことも多い。色んな人に色んな正義があっていいけど、わざわざそれを振りかざして人を傷つけていい理由がどこにあるのだろう。

 

実はこれは、コードギアスというアニメをみてふと思い出した出来事だ。はやく2期を見て劇場版に備えたい。